五月楼

一年中五月病。

2014-01-01から1年間の記事一覧

魔法としての正義

自分の正義をしきりに力説する者すべてに、信頼を置くな! ―――フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ 正義とは何か。誰も彼もが、その時々の都合に応じて、身勝手な正義の解釈を掲げ、己の利権を声高に主張する。従って、少なくとも普遍的な善悪の基準とは…

体感としての不確定性

不確定性から考える科学とオカルト 気温には、温度計で測定する「実際の気温」と肌で感じる「体感としての気温」があって、前者は客観的だが、後者は主観的で観測者の状態によって変わってくる。 たとえば南極の寒冷な環境に適応したイヌイットの人たちは日…

マジックワードについて

世の中にはマジックワードというものがあって、条件を整えて効果的に扱えば、人の行動を支配する上で凄まじい威力を発揮する。 ブラック企業で上司が部下に無理難題を吹っかけて押し通すような場面において、しばしば「成長」や「お客様のために」といったマ…

闇に呑まれるということ

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ 汝が長く深淵を覗き込む時、深淵もまた等しく汝を覗き込んでいる フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ「善悪の彼岸」より。 中二度の高さから(勿論、それだけではないけれど)、あらゆる創作物…

教養主義の虚しさ

「教養主義」も一筋縄ではいかない言葉だ。 西洋と日本で捉え方が異なる上、リベラル・アーツ主義、人文主義、科学主義、主知主義……etcなど、やたら細分化していて、真面目に理解しようとするなら、それなりの覚悟が必要になる。 こだわっても埒が明かないの…

「人はパンのみに生きるにあらず」と言うけれど

「人はパンのみに生きるにあらず」は過度な物質至上主義を戒める時によく使われる言葉だ。 パンを物理的な富と解釈すると、「人間は物理的な富だけでは生きていけないのです、精神的な富の大切さを意識しましょう」、といった意味になる。 実のところこれは…

宗教が入り込みやすい場所

高校野球をやっていた頃の話。 ある時、監督が「ムチ運動」なる概念を提唱しだした。 曰く、「いいスローイングができている選手の腕はムチのようにしなやかに波打っている。つまり、腕をムチのように波打たせればいいスローイングができる! みんな腕をムチ…

争いを呼ぶバベルシステム

サイエンスでいうなら、生物の目的とは子孫を残すことなのだから、その目的に反する同性婚は積極的に否定されなければならない。 気心のしれた身内にこぼす程度ならいざ知らず、不特定多数に向けてこんなことを豪語しようものなら、大変なことになる。 実際…