五月楼

一年中五月病。

怪物の意志

ぼくをみて ぼくをみて ぼくのなかのかいぶつが こんなにおおきくなったよ

 

  この怪物はきっと、とんでもなく良心的なのか、それとも抜けているのか、どちらかなのだろう。普通、怪物は宿主にその存在を気づかせたりしないから。

 

 人は誰でも生きていく上で優越感を適切に補給できないとおかしくなる。「自分は負け犬だ」という意識に囚われている人は、それだけで精神的な苦痛を感じているし、判断力も低下しているものだ。

 

 他者の上に立ちたい、他者の這いつくばる姿を眺めながら勝ち誇ってみたい、甘美な優越をじっくり味わってみたい、という欲求は、大抵の人間が持っているものだと思う。さらに言うなら、睡眠欲、食欲、性欲と同列の生理的な欲求だとも思う。

 

 けれど、この欲求(以下、優越欲求とする)の存在を無理やり否定している人は、とても多い。

 

 理由は幾つか考えられるが、優越欲求をむき出しにしていると、周囲から敬遠されて結果的に自己の不利益につながることが一つにあると思う。

 

 誰だってプライドの高い傲慢な人間を快く思ったりはしないし、逆に謙虚な人間のことは賞賛する。謙虚な人間は無害なため、付き合う上で安心感がある。

   

 だから 人は優越欲求を隠す。それ自体はいいことだと思う。

 

 問題なのは、隠されているだけで、やはり存在する優越欲求を、「ない」、あるいは「ない状態が正しい」と信じてしまう純粋な人々がいることだ。

 

 彼らは、優越欲求との適切な付き合い方を知らない。 

 

 結果として、優越欲求をうまく解消できずに歪な形で蓄積させてしまう。そうすると何が起きるか。

 

 心の闇に巣食う怪物が大きくなる。

 

 怪物は誰の心の中にも宿っていて、いつも大きくなりたがっている。もし大きくなれたなら、宿主の心を食い破り、乗っ取ってしまえるから。

 

 バリバリ グシャグシャ バキバキ ゴクン

 

 怪物に心を乗っ取られた人は、冷静な判断が出来なくなり、自制心も失われる。時に破滅的な事態も引き起こす。

 

 さらに怪物の恐ろしい性質として、乗っ取った宿主の発言・行動を通して、他者の中に宿る怪物を目覚めさせ、大きくしてしまうことが挙げられる。

 

 怪物は怪物同士で互いを育てあって、大きくなる。

 

 大きくなった怪物に翻弄された人々は、互いに憎しみを募らせ、さらに怪物は大きくなり、また人々は憎しみを募らせる。

 

 インターネット上で、怪物に食べられてしまった人や、もう少しで食べられてしまいそうな人をよく見かける。いやリアルでもそうだ。さらに言うなら自分だって過去に何度も心を食い破られた経験があるし、これからだってあるだろう。

 

 今、自分の中にいる怪物は、出来るだけ人から見えないところに追いやっている。追いやった上で、出来るだけ丁重に扱っている。

 

 怪物の存在を初めて認識してから、ずっと怪物とのうまい付き合い方を試行錯誤してきたおかげで、今、自分の中の怪物はそれなりに大人しい。

 

 けれど、やはり、ブックマークコメントやtwitterで発言したログを見直していると、怪物の意志が気づかないうちに紛れ込んでいるな、と思う時がある。

 

 気をつけようとは思うが、こうして少しはガス抜きもさせてやらなければいけないのかな、とも思ったりする。

 

 あなたの中にいる怪物は、今、どのくらいの大きさですか?

 

 引用部の元ネタ↓