五月楼

一年中五月病。

狼と鳩をわかつもの

もっとも「権利」なんていう発想自体 人間特有のものだろうがね

 

 寄生獣から引用。 

 

 考えてみれば人間だけが声高に権利を主張する。「権利」という言葉さえ持ち出せば、主張が通ると錯覚している面もある。

 

 飢えたライオンの目の前で「私には生きる権利があるんだ」なんて主張してたところで何の意味もないのに、人間社会ではそうした滑稽なシーンがよく見られる。

 

 おそらく権利というものは幻想に過ぎず、その幻想を裏で駆動しているシステムに目を向ける必要があるのだと思う。

 

狼の血

 

 狼は雄同士で喧嘩する時、負けが見えた方が相手に腹部を見せて降参宣言する。その時点で争いは終了し、追撃も行われない。だから狼同士の喧嘩は殺し合いにまで発展しないという。

 

 狼には強靭な顎と鋭い爪、牙がある。その気になれば赤子の手をひねるように相手の喉を食い破れるはずなのに、彼らはそうしない。何故か?

 

 そういう「お腹で決着ルール」があった方がお互い損失が少なくてすむし、結果的に利益にもつながるからだ。

 

 権利や法もこれと同じようなものだと思う。

 

 誰かと誰かのエゴがぶつかりあった時、もし両者が一切引かなかったら、最終的には底の見えない泥仕合となる。負けた方は全てを失い、勝った方も甚大なダメージを受ける泥仕合に。

 

 そこで、予めお互いがどこかで妥協し合って痛み分けした方がいいと先人は考えたのだろう。最初はそうやってエゴとエゴの最適な均衡点が見つけられてきたのだろうし、その均衡点に人間は「権利」とか「法」とか「倫理」と言った名前をつけて尊んできたのだと思う。 

 

 ある種の神聖性、不可侵性を纏わされている「人権」や「尊厳」といった概念もおそらく同じで、やはり、裏には必ず誰かのエゴが潜んでいるし、いつだってエゴのぶつかり合いを折衝するための道具として持ち出されている。

 

 社会の正体はエゴの集合体であり、常に暴走しようとするエゴ同士が互いを牽制しあって相互抑制して結果的に平和が成立している。

 

 エゴの均衡が成り立つためには、暴力の均衡とそれによって生まれる相互利益が必要で、権利も法も後付の概念に過ぎない。

 

 逆を言えば、暴力の均衡と相互利益の成立しない場面では、権利も法もモラルも無力なのだと思う。

 

 飢えたライオンは人間の生きる権利を守ることで自分が何かの利益を得たり、守らないことで何かの損失を被るなんて考えたりしないのだから。

 

暴力的な平和の象徴

 

 日本のように何だかんだ高度に洗練された社会では、暴力が複雑に分散されていてたくさんのエゴが絶妙なバランスで均衡をとっている。小さな崩壊はよくあるにせよ、大きなエゴの暴走はそうはない。

 

 だから日々安心して暮らすことが出来る。少なくともヨハネスブルグや破綻直後のデトロイトよりは。

 

 そして大事なのは、権利という概念が先にあって人々がそれを守っているから平和なのではなく、暴力の均衡と相互利益が守られているから平和だということだ。そこを脳内で逆転させてしまった人が、ライオンに生存権を主張し始めたりするのだと思う。

 

 そして、そういう人は、往々にして権利を主張するだけでなく、自ら均衡を破り、破滅的な事態を引き起こす。彼らの頭には「均衡」つまり「落としどころ」の考え方がないから、エゴを無限に解放して、行き着くところまで行ってしまう場合が多い。個人的にそうなってしまった人は「鳩」なのだと思っている。

 

 鳩を籠に入れて喧嘩させると、際限なく殺し合う。相手が無様に倒れ伏してもその皮を剥ぎ続け、容赦のない追撃を加える。これが平和の象徴とされるか弱き存在の真実だ。

 

  鳩は自らを弱者と思っている。どこに行っても生態系ヒエラルキーの下位に甘んじるし、鋭い爪も牙もないが故に、広い場所で鳩同士喧嘩した際、逃げ出した相手を追い打ちして仕留めるほどの攻撃力もない。

 

 だから、鳩には自らの暴力を抑制しようなどという発想は生まれない。暴力の均衡を探ることの重要性も理解できない。条件が整ったら無限にエゴと暴力を解放してしまう。

 

 人間も、自然界においては鳩と同じく、物理的な暴力を持たない弱者であり、基本的に己の暴力を抑制する発想を本能レベルでは持たない動物なのだと思う。

 

  実際、人間は容易に、「自分は弱い」「自分は虐げられている」という思いを、「だから自分は何をしてもいい」に転換して、落としどころの見えない過激な行動に走るものであって。

 

狼と鳩を分かつもの

 

 狼は、何故、「お腹で決着ルール」のような喧嘩の妥協点を見つけ出せるのか。それは狼が自らの持つ暴力の強さに自覚的だからだ。鋭い爪に牙。相手を簡単に殺傷できる力。 

 

 狼は自分の持つ暴力を恐れる。それがどんな破滅的な結果をもたらし得るか熟知しているからこそ、自らの暴力に抑制をかけることが出来る。

 

 暴力を恐れ、エゴの暴走を回避することで生まれる相互抑制と相互利益。相容れぬ他者との関係において、これらの要素に基づいた落としどころを常に探し続ける狼の方が、一見無害で平和的に見えるものの、状況次第では簡単に破滅の扉を開く鳩などより、よっぽど同じ社会で生きる隣人としては好ましいと思う。

 

あなたは鳩ですか? それとも狼ですか?